今日は朝から3 young men original soumdtrack→plain ep→dream epと聴いてNM1Cに辿り着いた。ロック熱。
GPMでXTC聴いていたらオススメされたので聴いています。オジーオズボーンかと思った。ジャケが。
#変ジャケ
大昔高校生の時、京都を一人でうろついていた時の感覚を思い出すんだけど、Media shopってまだあるみたいだな。
土曜のこの時間だと人影もまばら。そんな中でこれを聴きながら
#running すると背筋がゾクリとする。
ものすごい量の音と映像のコレクションを所持している人が再構築するノスタルジックで暴力的で美しいイメージ。フランス産の古いSFアニメを思い出す。
muteの懐の深さ?を堪能できるアルバムの一つ。ファド・ガジェットが表の顔としてこれはまさにフランク・トーヴェイの裏の顔だと思う。阿佐ヶ谷駅から徒歩5分だが風呂なし四畳半陽当たり悪しという立地の友達のアパートで、grey areaから出てたVHSでこのデュオのライブを観た事があるんだけど、こういう整理・制御された音じゃなく全編ハーシュだった。もしかしたら録画自体低品質で細かい音が聴こえなかっただけなのかもしれないけど。酔いと環境と音塊の中で朦朧としながら「あー明日仕事行きたくねーなー」などとボヤいていた事を思い出した。
96年の初来日以降、チャールズ・ヘイワードの即興演奏を何度か観てはいるのだけど、どうも面白味に欠けるなあと思ってきた。バンド編成で来日したV4Victoryも再結成マサカーも作曲・編曲と即興の絶妙なバランスを期待しながら即興100%で、「俺が聴きたいのはヘイワードの歌なのかもしれないなあ」などと求めるものがわかってきた気がする。唯一好きなのはクリス・カトラーと共にクレジットされたLa1919の客演くらいか。
このアルバム、豊永亮とのセッションで、彼もどちらかというとカッチリと(再現度の高い)フレーズを作り込むタイプのギタリストと捉えているのでヘイワードを逆に引っ張るかなと思ったのだが即興100%でした。
録音を聴くよりは現場で音の抜き合い、繰り出し合いを観るほうが楽しそうな演奏。即興自体がそういうものなのかもしれないけど。
某書店でバイトしてた頃、7、80年代のパンクやフリージャズにやたら詳しい社員が異動してきてこれはヤバイ!と即お近づきになって当時の話を色々聞かせてもらったり(ライヴハウスで流血沙汰とかそういうの)ちょこちょこCD貸してもらったりとかしてた(The Peter Brötzmann Octetの『Machine Gun』など)。氏は高柳昌行を心から崇拝していたのだけど、高柳のCDは『Lonely Woman Live』だけでいい、それ以外は聴かなくていい、という話を度々聞かされてて、当時『集団投射』にお熱だった自分はえ~確かにいいとは思うけどよくわかんな~いやっぱ『集団投射』っしょ、って感じではあった。今でも『集団投射』とかはたまに聴いてはサイコーってなるしもちろんこのアルバムも聴いてはかっこいいけど・・・う~ん?ってなったりするんだけど、よくよく振り返ってみるとこっち聴いてる方が多い様な気がする。惹かれ続けてるのか、謎に。
イングランドの死神博士。マーティン先生。庭師、詩人、この世のものとは思えないほど美しい歌を書いて歌う自転車乗り。涙が止まらない。先生はまだ元気で生きてるけど、俺の友達いっぱい逝ってしまった。ああ、綺麗で涙が出る。
こういうコードワークが好きだ。これはプログレ…になるのかな…。
混みいったコーラスワークやリフやリズムや展開の意味を探す音楽。まだまだ理解が足りない。ここ最近のベスト。
ライブ観てると凄いデタラメだなあと思うんだけどこうして聴くとやっぱりデタラメ。ハズしのツボを押さえてるというか。初期パンクのライブを収めたコンピに入ってた活動開始頃のワイヤーを思い出したり。鳴りやまぬユージコール
レスクレイプールとショーンレノンのユニット。いつ聴いてもそれだとわかるベースの音とフレーズは相変わらず。